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体験しながら楽しく交流
福祉を取り巻く現状や共同作業所への理解を深める取り組み
これからも交流会を大切にしたい |
いつも作業所で作製している押し花はがき、藍染タオル、ビーズアクセサリーなどの作り方を教えてもらいながらの交流は、各テーブルで楽しく話が弾み、笑顔いっぱいの時間になりました。
その後は、お茶とクッキーで作品のできばえや作業所の生活などを話題に歓談、みなさんの作品の販売もあり、盛りだくさんの交流会になりました。
参加した組合員からは、「作業体験がよかった」「子どもと一緒に参加したいので、ぜひ夏休みに開催してほしい」などの声が寄せられ、きょうされん団体からの参加者からは、「もっと交流したかった」ととても名残惜しそうでした。
「どう変わるの? 介護保険」学習会
2009年4月に改正される介護保険制度について学習
介護保険は誰にとっても身近な問題です |
主催した東都生協・くらし委員会では昨年の9月に、世の中で関心の高い介護保険についてどのような悩みがあるのか、組合員活動情報紙「ワォ」でアンケートを取りました。その結果、介護保険とはどういう仕組みなのかという初歩的なものから、介護をしている人の切実な悩みまで、実に多くの問題があることが分かりました。
そこで今回の学習会は、4月に改正される介護保険制度の内容を中心に、介護保険ができた歴史、仕組みから、消費税と介護保険の関係をヨーロッパの国々と比較するなど幅広いものとなりました。安心して住み続けられるまちづくりには、地域の助け合いや医療生協などとの連携、それに加え、国のバックアップが重要とのことでした。
各自治体別の保険料と準備金積み立て残額など、参考になる資料や調べ方まで知ることができ、参加者からは「介護保険の全体的な仕組みが分かって良かった」などの感想がありました。
2回目の田んぼ作りからの米作り交流を実施
(農)船橋農産物供給センターの休耕田で田んぼ整備
飯島代表のあいさつ |
生産者の菊地さんのお話 |
使用する草刈り機や鎌 |
草刈り機の使用方法やコツについて |
さぁ今日はどこまでできるかな? |
のこぎりで... |
草刈り機で... |
刈った草・木を集めます |
田んぼの周りの木も集めます |
あと少し、がんばれ! |
12時45分に無事、草取り作業が終了 |
2009年1月17日、東都生協の産直産地・(農)船橋農産物供給センター(千葉県)で、休耕田での米作り再開に向けた1回目の田んぼ整備を行いました。前回の歩き道設置作業日と同様に、暖かい中、マイカーと電車で東都生協組合員など総勢約50人が集まりました。
今日の作業は、田んぼの中と周りに生えている草・木を鎌やのこぎり、草刈り機などで刈り取る作業で、5月に田植えを行うための重要な作業です。この作業は3月までに3回行います。
今回は、草刈り機も使うため、その注意事項も含めて(農)船橋農産物供給センター代表の飯島さんからあいさつがあり、その後に田んぼをご提供いただいている生産者の菊地さんからお話がありました。
朝のミーティングを終えて、前回作った階段を通って田んぼへ移動し、いよいよ作業開始です(10時15分)。草刈り機担当と、鎌やのこぎりでの草・木刈り、刈った草・木をまとめる担当に分かれて作業を行いました。
田んぼは深いところでは膝下くらいまでぬかるんでいます。ところどころ、氷も張っていました(厚いところは5cmくらい)。そんな中での作業はかなり大変です。
遅めの昼食を取った後、この田んぼの名前を参加メンバーから募り、「睦(むつみ)」「力(りき)」「美田」「はじめの田」「田んぼぼ」「田んばりん」などの候補が出されました。田んぼの名前は次回決定します。
田んぼの持ち主で生産者の菊地さんによると、この田んぼは米作りをやめて二十数年、管理をしなくなって15~6年とのことでした。5月から再開する米作りで米ができると、なんと二十数年ぶりにこの田んぼで米がと取れることになります。
次回の作業は2022年2月14日(土)で、田んぼの中の有機物をなるべく少なくするために、草・木をさらに丁寧に取り除く作業を行います。
☆他の日の作業の様子
−その1−「田んぼまでの道づくり」
皆さんの善意でサイクロンシェルターが完成しました
「バングラデシュ・ミャンマーサイクロン募金」のご報告
svaの木村万里子さんより |
SVAの関尚士事務局長に |
バングラデシュ |
孤児院の前で |
2008年5月に東都生協で取り組んだ「バングラデシュ・ミャンマー(ビルマ)サイクロン募金」に寄せられた募金額は1,480万円超に達し、バングラデシュ、ミャンマーのそれぞれ復興支援・緊急支援に充てられました。
2009年1月30日、今回の募金を寄託した社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)の緊急支援担当・木村万里子さんが東都生協本部を来訪し、当組合・竺原(じくはら)常務理事に対して東都生協「バングラデシュ被災地復興支援活動完了報告」を行い、13ページにわたる「報告書」が手渡されました。
ご協力いただいた皆さまに感謝を申し上げますとともに、詳細をご報告いたします。
サイクロン募金報告
組合員の募金総額1,489万円余りが
被災者支援に役立てられてきました
2008年5月3日夜からミャンマー(ビルマ)南部を襲ったサイクロンは、死者22,980人・行方不明42,100人(2008年5月7日、国営テレビ=時事)、約100万人が家を失う(国連担当官=毎日)大惨事をもたらしました。
その前年2007年11月15日にバングラデシュ南部を襲ったサイクロンでは、約3,400人が命を落とし、約150万世帯の家を奪いました。半年を経た今も、人々の心に傷を残しています。
東都生協は2008年5月12日(月)から全組合員に被災状況を伝え緊急募金を呼び掛けるチラシを配付しました。緊急募金チラシでは、東都生協組合員に以下の内容をお知らせしました。
- 東都生協は、社団法人 シャンティ国際ボランティア会(SVA、本部・新宿区)と提携し、お預かりする募金は、現地の住民組織、非政府組織などの協力を得て、直接、被災地の救援・復興に役立てる。
- バングラデシュでは子どもたちのための教室やサイクロン避難用施設建設のために。ミャンマー(ビルマ)では現地組織との関係を確保した上で、被災住民本位の支援を構築するために募金を活用する。
- 2つの被災地への募金の配分は生協とSVAとで協議して行う
短期間に14,892,662円の募金が寄せられました
2008年7月12日、東都生協・宗村弘子副理事長は新宿区大京町の同会本部を訪れ、募金全額を同会に贈呈。両団体で協議した結果、
バングラデシュ・サイクロン被災者復興支援として595万5,625円、ミャンマー(ビルマ)・サイクロン被災者緊急支援として893万3,417円をそれぞれ配分することを確認しました。
以下、すでに完了したバングラデシュ・サイクロン被災者復興支援事業と、支援継続中のミャンマー(ビルマ)被災者緊急支援の中間状況について、報告します。
バングラデシュで鉄筋2階建てのサイクロンシェルター4棟が完成
東都生協・組合員からの募金595万円余が地域を活性化
2009年1月30日、同会の緊急支援担当・木村万里子さんが東都生協を訪問し、東都生協・竺原俊明(じくはらとしあき)常務理事に「バングラデシュ・サイクロン『シドル』被災地復興支援活動活動完了報告書」を手渡しました。
バングラデシュでは、今後おそらく何度も再来するであろうサイクロンの被害に備え、本格的なシェルターの建設に募金全額が役立てられました。サイクロンや津波が発生した場合は、近隣住民は、鉄筋コンクリート2階建てのシェルターの2階に避難することができるようになりました。2階には牛などの家畜も避難できます。
シェルターは、同会の支援でこれまでに4棟建設されました。このうちの1棟は、バングラデシュ南部のボルグナサダル郡に位置し、ベンガル湾を河口とするブリシャワル川沿いの地域であるケオラブニア地区に、東都生協・東京南部生協と他の日本の3団体の計5団体からの募金で建設されました。
シェルターの日常運営は、男女の地域住民で構成する運営委員会によってなされ、地域の集会所・コミュニティセンターとして機能しています。
![syaerutaa49.jpg](http://www.tohto-coop.or.jp/action/report/upload/syaerutaa49.jpg)
ミャンマー(ビルマ)
組合員からお寄せいただいた募金は、被災3日後から緊急物資を直接届ける活動の原資として役立ちました
一方、ミャンマー(ビルマ)でのサイクロン被害に対しては、直後に各国からの支援協力が表明されたのに対して、同国側がこうした支援を警戒して、一時は膠着(こうちゃく)状態となり、その間にも多数の犠牲者が生じるという事態となりました。
同会はかねてからタイに現地事務所を設けていたこともあり、被災直後からミャンマー(ビルマ)国内のボランティア諸団体と連絡を取り、独自のルートを開発して、5月6日から水(ボトル入り)、浄水剤、米、毛布、薬(下痢止めなど)のほか、小屋を建てるためのブルーシートなどの建材を被災者に直接届けるという活動を精力的に展開し、5月末までに42,000人に届けることができました。
その後も活動は拡大して展開し、7月までに87か村で配付活動を行い、延べ182,000人に救援物資が届けられました。7月からは稲作農家への「種籾」の配付や、共同で利用するトラクターの支援、漁村への船や魚網を届けました。
①食料品(飲料水、米、豆、じゃがいも、玉ねぎ、油):46,400人分②衣服と靴:11,600人分
③家屋修繕や避難小屋の建設資材:8,665世帯分
④遺体処理、塩害環境整備資材:43か村分
⑤救急衛生セット:26,900セット
⑥トラクター:16台(約80家族分)
⑦移動医療チームの展開費用:毎週平均10チーム
⑧離散家族支援:103人の交通費など
農漁村の生活再建と孤児院建設、保育施設
これまでにサイクロン被災の子どもたちを応援する復興支援活動として、孤児院2棟が建設され、男児70人、女児31人が利用しています。さらに保育施設の修繕・建て直しに取り組み、これまで34棟が再建され、女児421人、男児440人が利用しています。
![kojiin112.jpg](http://www.tohto-coop.or.jp/action/report/kojiin112.jpg)
同会では、これまで各国の子どもたちに絵本を贈るボランティア活動を展開してきました。日本の絵本の日本語の箇所を当該国の言葉に直したシールを貼り、現地の子どもたちに読んでもらうという取り組みです。国内の絵本作家や出版者の了解を得て、ボランティアが2,000円の実費を負担しながら、現地の言葉に翻訳したシール貼りを行います。(詳細はここをクリックしてください)
ミャンマー(ビルマ)の子どもたちに絵本を贈るボランティアを、同会は募集しています。東都生協の組合員は実費2,000円が昨年の募金から拠出されます。
【参考】
社団法人シャンティ国際ボランティア会・ミャンマー支援活動(外部サイトにリンクします)
【お問い合わせ先】
社団法人 シャンティ国際ボランティア会 東京事務所 03-5360-1233(緊急救援担当:白鳥、薄木)
東都生協 03-6859-4680
飼料米ありがとう交流会(2009年1月17日 千葉北部酪農農業協同組合)
輸入飼料の高騰に苦しむ酪農家の応援企画
千葉北部酪農農業協同組合 |
牧場主の藤崎さん |
感謝状の贈呈 |
東都生協では2008年、輸入飼料の高騰に苦しむ酪農家を応援するために、「飼料米を作ろう」という企画を実施しました。今回は、それに参加された方に対するお礼の意味も込めて、育てた飼料米の牛への給与や生産者と交流する企画を行いました。
多数の応募があった中、抽選で選ばれた13家族38人が訪れたのは、八千代牛乳を生産している千葉北部酪農農業協同組合(以下、千葉北部酪農協)の生産者、藤崎さんの牧場です。
皆さんが育てた飼料米を玄米にしてすりつぶした餌や稲わらを牛さんたちにあげたり、バター作りや搾乳などいろいろな体験をし、昼食は千葉北部酪農協の牛肉での焼肉と、心もお腹も大満足な一日となりました。
はじめにはじめに千葉北部酪農協の加川さんから、本日のスケジュールと昨年行った飼料米の取り組みについて報告がありました。今回訪れた牧場主の藤崎さんからは、東都生協の産地を応援する取り組みへの感謝の言葉が述べられました。
飼料米の取り組みに感謝して、千葉北部酪農協の菊谷さんから感謝状が贈呈されました。
飼料米の給餌飼料米を玄米にしてすりつぶした餌は普段あまり食べなれていないせいか、稲わらのほうをよく食べていました。
バターづくり体験バター作りは、小びんに詰めた牛乳をひたすら振ります。お父さんお母さんにも手伝ってもらい、ようやく完成です。
出来たバターは、地元名産のさつまいもの炭焼きに付けていただきました。
食欲旺盛な子牛に圧倒され気味の子どもたち、子牛といっても結構力があり大変でしたが、ちょっとお母さんになった気分かな!?
昼食は八千代牛の焼肉八千代牛の焼肉でお腹もいっぱい、子牛に負けない食欲です。やっぱり牛肉はおいしいね!
搾乳体験子どもだけでなく、大人も搾乳体験を楽しみました。初めはコツがつかめなくて、なかなかうまくいきませんが、お乳が出たときはやっぱりうれしい。でも、中には「ジャー、ジャー」と勢いよく搾るプロ並みの腕を持つ方もいらっしゃいました。
皆さま、ありがとうございました。
これって「障害者税」!?
障害福祉についての制度拡充を求めるきょうされんの国会請願署名・募金運動について学習
署名や募金の意義・必要性 |
講師の磯部光孝さんの |
2009年1月9日渋谷区商工会館にて、きょうされん第32次国会請願署名と募金運動について学習会を開催しました。講師は、きょうされん東京支部副会長の磯部光孝さん。
ここ数年、社会保障関連予算は毎年度2,200億円ずつ減額されています。こうした中で 2006年に施行された障害者自立支援法は「応益負担」という形で障害のある人々に新たな負担を強いるもので、利用料の滞納や、利用者の施設からの退所などを生み、多くの事業所も運営面で困難に直面しているというのが現状です。
きょうされんが、障害者権利条約の水準に沿った国内法の見直しを求め、障害のある人が地域で安心してくらしていくことができるように運動していることを、この学習会で学びました。
参加者は、少しでも手伝えるように、署名と募金の協力をし、国へは続けて訴えていく必要を実感しました。
親子になること
親と子のあり方を学ぶ子育て支援学習会
当日は男性の参加者もいました |
2008年11月4日、東都生協は東京都消費生活センターで子育て支援学習会を開催し、25人の組合員が参加しました。「親子になること」をテーマに評論家・芹沢俊介さんを迎え、親と子のあり方について学びました。
子どもときちんと向き合い「おかあさん?」「なあに?」こんな会話を続けることが第一歩とのこと。
参加者はそれぞれに子どもとの関係を思い起こし、これからの指針を見つけ出そうと「親子のきずなの大切さ」、子どもの「受け止められたい欲求」など講師の言葉を懸命に聴いていました。
「このような機会をもっと多くの方々に知ってほしい」「子育てがより楽しいものになる気がします」と参加者から感想がありました。
田んぼづくりからの米づくり交流
産直産地・(農)船橋農産物供給センターの協力による農業体験(その1)
まずは朝のミーティング |
「元田んぼ」を下見。 |
道づくりの第一歩は、 |
協力して階段用の竹を伐採 |
棒の先をとがらせて、 |
伐採し切り開いたところに |
階段作りでは子どもたちが大活躍 |
大人も負けじと頑張ります |
田んぼに降りる階段が完成 |
手洗い場作りもばっちり |
汗を流した後の昼食は最高! |
皆さん、お疲れさまでした |
本企画は、単なる田植えや稲刈りなどだけの米作り体験ではなく、荒れた田んぼを復活させるところから始める農業体験企画です。千葉県の産直産地・(農)船橋農産物供給センターのご協力により実現しました。
東都生協にとってはもちろん初めてで、他の生協でもこうした取り組みは聞いたことがありません。どうなることやら心配な反面、すごく楽しみな企画でもあります。
これから、この企画の様子を報告していきます。
作業の予定は以下の通りです。
2008年12月 田んぼまでの道づくり
2009年
1月〜3月 荒廃した田んぼの整備
5月 田植え
6月〜8月 草取り
9月 稲刈り
−その1−「田んぼまでの道づくり」
心配された空模様も昼には太陽が顔をのぞかせ、まずまずの作業日和となりました。総勢約45人が田んぼづくりの第一歩として、田んぼまで下りる道作りに挑みました。
田んぼは、地主の菊池さんのお宅から山の斜面を少し下りたところにあるため、そこに道を作る必要があるのです。
朝、菊池さんの畑に集合して、(農)船橋農産物供給センターの代表である飯島さんから「農家は家族で仕事を行います。ここに集まった皆さんは大きな家族のようなもの、一人ひとりがそれぞれの持てる力を発揮していきましょう」と、あいさつしました。
事務局から本日の作業の説明があった後、まずは山の斜面を下り、これから作業をする「元田んぼ」を下見しました。
田んぼまでの経路の斜面は竹や杉、大小の常緑樹が茂っており、道として踏み跡もない状態です。元田んぼの状態はというと、草や木が生い茂り、地面はぬかるんでいました。
いよいよ、作業開始です。
作業は「道を作る上で邪魔になる木や竹を伐採するグループ」「階段の材料となる竹や木を適当な長さに切るグループ」「その材料を使って斜面に階段を作るグループ」の3つに分かれて行いました。
本当できるのか心配された道作りでしたが、作業を始めて約2時間。子どももおとなもみんな力を出し合い、立派な道の完成です。なんか、道の名前を付けたい気分に...。
次は、2009年1月17日に田んぼづくりの2回目を行います。
生き残ったものの使命です
核兵器廃絶と戦争のない平和な世界の実現を目指し1988年から交流・連帯
135枚のひざ掛けなどを贈呈 |
時々声を詰まらせながらも、 |
2008年11月17日・20日・21日、都内3カ所で「2008 東都生協組合員と東友会(東京都原爆被害者協議会)との交流会」が開催され、延べ120人が参加しました。
スクリーンなどを使った東友会の活動紹介の後、被爆体験者の生々しい証言があり「一度被爆すると一生逃れられない」「63年経っても拭い去れない思いがある」という言葉が重く響きました。
交流会の中では「死ぬまで語れません。早く忘れたい」「戦争の焼け跡の臭いがするので花火はイヤ」などの声が。
東都生協の沖縄基地巡りに参加した人からは「怒りの3日間でした。まだまだ戦後です。命のある限りは憲法9条が生かされるように頑張っていきたい」との報告がありました。
みんなの力で核兵器をなくそう! 未来に生きる子どもたちのために
機関誌 『東都生協だより』 2009年2月号より
核兵器のない平和な世界の実現を |
2008年11月19日、中野サンプラザにおいて第1回ピースセミナーが東京都生協連 平和活動担当連絡会主催で開催されました。
前半は秋葉忠利広島市長より、自身が呼び掛ける平和市長会議がどのようなものかを講演。被爆者の功績をつなげるのは国家よりも市民のレベル。国と国との関係は力が前提になりますが、都市と都市は対等なパートナーとしての世界観を持つことができます。
核兵器廃絶という実を結んでいくため都市が立ち上がるという平和市長会議は、世界133カ国、2,468都市で構成されています。核兵器廃絶のための2020年までの道しるべとしてのヒロシマ・ナガサキ議定書も2008年春に発表され、秋葉市長は「核兵器廃絶は多数派の声であることに自信を」と結びました。
後半は広島県生活協同組合連合会・専務理事の岡村信秀氏が講演。「『核兵器の攻撃目標の解除と核兵器の廃絶を求める要請書』の署名を行うことが、平和の傍観者でなく、理解者を増やし無関心をなくす。さらに秋葉市長の大きな後ろ盾になる」と締めくくりました。